ひとり旅じゃないと得られないもの/沢木耕太郎の言葉から

私が初めてインドへ行ったのは2001年の夏でした。

そのころは今より多くの日本人の若者が
バックパックを背負ってインドに乗り込んできてた時代でした。
(私もまあ若者やった。当時28歳)

そういうバックパッカーたちは、十中八九、
ある本を読んでからインドに来ていました。

それは、沢木耕太郎の『深夜特急』

ほんま、みんな読んでましたね。

で、私はというと、読んでなかった…

そこで読みゃあよかったんですが、
周りにいるヤツらにすでに十中八九読まれてると、

「ここでオレも同化するわけにはいかんな」

という意地のようなものが生まれて、一層読めず…

以来、時は流れて17年(泣)

それがこないだ、
ふとしたキッカケで、ようやく読んでみました、
『深夜特急』

なるほどこれは面白いわ!

インドくるヤツ、そりゃみんな十中八九読むわ(笑)

しょーもない意地張ってると
10年20年分くらい損するなあと感じた次第です。

一人旅は後になって深まっていく

さて、その『深夜特急』を書いた沢木耕太郎ですが、
こんなことを言っています:

ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈潜し、忘れがたいものになっていく。

沢木耕太郎 『旅する力』

この「吐き出されない思い」が「深く沈潜し」ていくというのは、
ひとり旅ならではのプロセスです。

もしここで連れがいたりすると、

どんな美しさも感動も、
その場で即座に、軽くて浅い言葉に変換され、
ささっと共有されて、

あとはそのまま忘れられてしまうーー

そういうリスクが大いに高まるわけです。

でも一人だけでいると、
手近なところに共有できる相手がいないから、
しばらくは自分の中で抱えとくしかない。

その必要もないから、言葉にも換えないままで。

すると、抱えてるうちに「深く沈潜」していくんでしょうね。
醸造されるというか。

私も割と熱心なひとり旅推奨派なんですが、
それはなぜかと言うと、

ひとり旅には
人間を成長させてくれる養分が格段に多く含まれているからです。

で、この養分というのは、
むしろ旅行が終わってから、

自分の中で醸造させているときに
多く生まれてくるような気がします。

「海外旅行!」というと
自動的に「誰と一緒に行こう?」という発想がついてくるようなら、

一度、思い切って一人で行ってみるといいですよ。

そのときは寂しかったり、大変やったりするかもしれない。
でもきっと、そのぶん深く、あなたの中に旅がしみ込んでいく。

そしてその旅は、
終わってからもずっと、
思いもよらない養分を生み出し続けるんじゃないかと思います。