願ってもないほど素晴らしいものが、狙ってもないのに偶然に手に入ってきたら、どうでしょう。
ありがたいことですね(笑)
この実に虫のいい状況を表す、「セレンディピティ」という言葉があります。
セレンディピティとは、一体どういうことなのか?
これをスバリ説明し切ってしまうのは、残念ながら、私の能力を超えた仕事です。
なんとなくはわかってるつもりなのですが、ほんま、うまく説明できないのです。
だから、断片的な説明とか、たとえ話とか、とにかく積み重ねてみようと思います。
そうしていく中で、そのものズバリではないけども、何となく伝わっていくことがあるかもしれないと思うのです。
探さないから手に入る
「人間の成長は移動距離と比例する」という名言があるそうです。
文字どおりに取ると、
「長い距離を移動すればするほど、それだけ大きな成長が得られる」
ということになります。
この名言、証明することは私にはできませんが、それでも、何とな〜くわかる気はする。
「そういうことって、ありそうやなあ」とは感じます。
たくさん移動をすると、そこに何が起こるのか?
これはハッキリ言うことができない。
ただ、「何かしらは起こるのである」ということは、そこそこ確実に言えそうな気がするのです。
この法則を逆手に取ると、
「成長するために、とにかく長い距離を移動してみる」
という方法も、意外と成立するのかもしれないーー
と、ここまで来ると、実にバカバカしい。
到底マトモでない話に聞こえます。
でも、結果としては、何もしないでじっとしている人より、そんなバカバカしいことでもやってみた人の方が、きっと大きな成長を、スピーディーに遂げているんじゃないかと、これも明確な根拠こそ挙げられませんが、感じます。
こういうところなんじゃないでしょうか。
なぜなのかはハッキリ説明できない。
でも、何となくレベルでは確かに感じることができる。
狙っては手に入れられない。
でも、何の関係も脈絡もないときに、ふっと手に入る。
「セレンディピティ」というのは、そのあたりの微妙な境地を表した言葉なのかなと、私は感じるわけです。
たいていのことは「検索」したら知ることができる、この便利な今の時代。
でも現実は、そうして見つかった情報だけでは、なかなか満足できないことも多々あります。
それは見つかる情報が貧弱だとかいうより、そもそも、「検索」すること自体に限界があるんじゃないか?
私たちが本当にほしいものっていうのは、私たちの探している範囲の外に転がってるんじゃないか?
探す→見つかる
求める→手に入る
こういう退屈な予定調和の鎖を断ち切った先に、何かしらすごいものがあるんじゃないか?
「何かしらすごいもの」って、徹頭徹尾あいまいな話です。
自分でもまったく言えてないなあと思います。
でも私は、このつかみどころのないものを、これからも探りつづけていこうと決めています。