セレンディピティとは何か(説明の試み/その1)

願ってもないほど素晴らしいものが、狙ってもないのに偶然に手に入ってきたら、どうでしょう。

ありがたいことですね(笑)

この実に虫のいい状況を表す、「セレンディピティ」という言葉があります。

セレンディピティとは、一体どういうことなのか?
これをスバリ説明し切ってしまうのは、残念ながら、私の能力を超えた仕事です。

なんとなくはわかってるつもりなのですが、ほんま、うまく説明できないのです。

だから、断片的な説明とか、たとえ話とか、とにかく積み重ねてみようと思います。

そうしていく中で、そのものズバリではないけども、何となく伝わっていくことがあるかもしれないと思うのです。

探さないから手に入る

「人間の成長は移動距離と比例する」という名言があるそうです。

文字どおりに取ると、
「長い距離を移動すればするほど、それだけ大きな成長が得られる」
ということになります。

この名言、証明することは私にはできませんが、それでも、何とな〜くわかる気はする。

「そういうことって、ありそうやなあ」とは感じます。

たくさん移動をすると、そこに何が起こるのか?
これはハッキリ言うことができない。

ただ、「何かしらは起こるのである」ということは、そこそこ確実に言えそうな気がするのです。

この法則を逆手に取ると、
「成長するために、とにかく長い距離を移動してみる」
という方法も、意外と成立するのかもしれないーー

と、ここまで来ると、実にバカバカしい。
到底マトモでない話に聞こえます。

でも、結果としては、何もしないでじっとしている人より、そんなバカバカしいことでもやってみた人の方が、きっと大きな成長を、スピーディーに遂げているんじゃないかと、これも明確な根拠こそ挙げられませんが、感じます。

こういうところなんじゃないでしょうか。

なぜなのかはハッキリ説明できない。
でも、何となくレベルでは確かに感じることができる。

狙っては手に入れられない。
でも、何の関係も脈絡もないときに、ふっと手に入る。

「セレンディピティ」というのは、そのあたりの微妙な境地を表した言葉なのかなと、私は感じるわけです。

たいていのことは「検索」したら知ることができる、この便利な今の時代。
でも現実は、そうして見つかった情報だけでは、なかなか満足できないことも多々あります。

それは見つかる情報が貧弱だとかいうより、そもそも、「検索」すること自体に限界があるんじゃないか?

私たちが本当にほしいものっていうのは、私たちの探している範囲の外に転がってるんじゃないか?

探す→見つかる
求める→手に入る

こういう退屈な予定調和の鎖を断ち切った先に、何かしらすごいものがあるんじゃないか?

「何かしらすごいもの」って、徹頭徹尾あいまいな話です。
自分でもまったく言えてないなあと思います。

でも私は、このつかみどころのないものを、これからも探りつづけていこうと決めています。